海外への支援金を「ワ」の視点で見る

ニュースを見ていると、「海外へ支援しました」という報道をよく見ます。場合によっては「無償支援」ということもあるようです。

これって、「日本」が色んな意味で潤っていて、国民が安定して安心して幸せに暮らしているなら「他」を助けるので良いことだと思うんです。

でも、今の日本は、安定しているといえる状況ではありません。

目次

地震や水害などの被災地で、困っている人たちが大勢います。

水道や道路などの耐用年数が来ていて、いろいろなものが壊れ始めている地域もあります。

年金制度がどういうわけだか上手くいっていないのか、年金生活しても良いはずのお年寄りが、肉体労働をして、身体にムチを打って働いています。

世帯年収が上がっても、「大黒柱」となる人が家庭内にいないこともあります。「夫と妻」「父と母」で懸命に働いて生活を維持するしかありません。そのため、若い世帯では、子どもを産むゆとりがなく出生率は下がり続けているようです。

一般国民の目線でも、日本国内のことを少し考えるだけで、(国が行うのか地方自治体が行うのかはさておき)これだけの修繕する必要のある「コト」や「モノ」があります。

このような中、どうして、国内や国民への「支出」ではなく、海外へ「支援」するのでしょうか。

事例

考えてみてください。

もし、毎日の生活が苦しい中、自分が「親」の立場だとした場合、子どもたちに『貧しい思い』をさせてまで、他人にお金をあげる(渡す)ことができますか?

それは、子どもたちをわざわざ『貧しく』させて、その分『他人にお金をつぎ込む』ようなものです。『たかられている?』『ゆすられている?』どのような表現が適切か難しいですが、本来守るべき子どもの衣食住や教育、感性や心の発達を犠牲にしてまで他人にお金をつぎ込むのは、褒められることではありません。

「投資だったら良いのでは?」と思われるかもしれませんが、答えは「NO」です。投資はリスクリターンがあり、必ず「プラス」や「得」で終わる保証はありません。「少々のマイナス」で終わるならまだしも、完全に失い、結果として「ゼロ」となったら「一文無し」です。

また、自分が「子」の立場だとしたら?と想像してみてください。自分の親が他人にお金を貢ぎ、自分のことは放おっておかれている状態だとしたらどう感じますか?

きっと、寂しいと思います。自分のことを嫌いなの?と不安になります。自分が悪いから?と自分を攻めたりもするかもしれません。ネグレクト状態ともいえるでしょうか。「子」の立場で、このような想いを根拠にした事件もありました。

海外への支援金をワの視点で見るとどうなるか、今回は「ワ」の概念のうち、「マル」という二次元的な目線から海外支援金を見ていきたいと思います。

まずは「ワ」の説明から。(詳細は【ワの会とは?】を参照ください)

「ワ」は「ワの会」オリジナルの概念であり、思想です。「ワ」が「マル」になり「球体」や「螺旋」を描きながら発展したり、調和やバランスをとったりする考え方です。

「ワ」の簡単な説明

「個」という「ワ」があります。「個」は個人です。自分という意味です。そして、「個」と「個」が交流し合い、バランスをとり、調和して「マル」になります。「マル」は「個」同士が「ワで整っている」というイメージです。

もし、助けを求めている「個」がいたら、「マル」は「個」に手を差し伸べ、「個」が整うように支援し、助け合います。そうしなければ「マル」にならず、「マル」が成立しないからです。

この「マル」は、「家庭」や「国」に当てはめて考えることができます。

「国民」は「ワ(個)」です。「ワ」が集まって日本という国「マル」が成立します。「日本国」という一つの単位で見れば、日本を「ワ」と考えることもできますが混乱しないように「マル」で話を進めます。

(日本という土地が日本人を作るのか、日本人という人が日本という国を作るのか?『ん?』となってしまいましたが、一旦脇においておきます)

「国のワ」が「マル」として整って初めて、「他の国」へ「ワの手」を差し伸べることができます。「マル」の内側が乱れていては「自ら自分自身を壊す」ことにつながってしまうため、「他の国への支援」という名の「ワの手」を差し伸べることはできません。「マル」の内側が乱れているときは、逆に他者に助けを求め、助けてほしいくらいです。

日本の現状に当てはめる

先ほどの例に戻りますと、地震や水害で日常生活を失ってしまった人たちがいます。私は現地に行っていないので、当事者の話を聞いてはおらず、詳細までは明記できませんが、復興にとても時間がかかっていたり、放置されているのでは?と思わざるを得ないと感じることや、「支援・支給」ではなく復興「貸付」制度しかなかったり、思いつくだけでもこれだけの『なんで?』に気づくことができます。

「日本国内」の「ワ」が乱れていてなぜ、「他(の国)」を助けることができるのでしょう。自分自身を整えることができない人が他者を整えることはできないのと同じです。自分の痛みに気づけない人が他者に寄り添うことはできません。

「ワ」で見ることはもちろん、「ワ」以外で考えても「日本国内」は整っていません。日本の国民が困っているならば、「日本国のワ」を整えることが最優先で決行しなければならないと考えます。海外に何億、何兆(無償で)支援するならば、まずは日本国民に「支援・支給」しなければ、国は滅びます。

(ばら撒けばよいというわけではありませんが、被災地への支援、子どもを産み育てるための対策など考えられる支援は山ほどあります。他国への支援や移民政策などしている場合ではありません)

国を守り、繁栄させるのは国民です。議員が国を繁栄させているのではありません。国民が働きやすい環境、生活しやすい環境を作るために、議員は国と国民のために働いていかなければならないはずなのです。

財源

「財源が・・・」よく聞く言葉です。海外への支援も、その財源が元になります。

皆、税金を払わなければいけないから払っています。税金は、国や国民のために、国が責任と透明性を持って使うべきです。困っている人を社会保障で助けるから、自分が病気や怪我などで困ったときにも「社会保障」で助けてもらうことができるのです。いわゆる「お互い様」です。「行く」と「戻る」、「あげる」と「もらう」、「マル」の中の2つの点で考えるなら、これが調和の取れた「ワ」です。

税金は、議員が好き勝手に使ってよいものではありません。私たちは、税金を議員に無償で贈与したのではありません。税金は、国や国民のためにプールし、一旦預かる形で、そこから必要に応じて使っていることを基本としなければ、これからもますます税金は上がり、国民は疲弊してしまうでしょう。

また、「お金(財源)がない」からと、国債を発行して「お金はある」状態にすることもよくありません。国債は簡単に発行すれば良いものでもありません。きちんと計画を立てて、「在るお金(財源)で行う」ことを基本にするべきなのです。

財源がないなら、議員の報酬を減らせばよいのです。財源がないなら、海外への支援もできないはずです。家庭では「やりくり」は当たり前です。会社でも「収支」を計算して「経費」にいくら使うかなどを決めています。「お金(財源)が無い」国が、どうして海外へ支援することができるのでしょうか。

きちんと説明してほしいものです。

(現状の世の中は、「ワ」が整っているとは到底いえる状態ではないので100%「ワ」の思想を当てはめることは誤解を生じるかもしれません)

誰かを称賛したり、誰かを批判したりしているだけでは世の中は変わりません。

私たち日本国民は、未来の日本に対して責任があります。日本と日本国民を滅ぼしてはなりません。日本を大切に想い、日本を大事にし、そこで生まれ育つ私たち日本人がこの日本に誇りに思って生きることができるように、私たちは物事を客観的に見て、調べて、現状を冷静に把握していきましょう。

そして、私たち日本人が、日本を大切にして日本を大事にできるからこそ、他国を助けたり、他特との関係を深めたり、他国の人々と仲良くなったり、助け合ったり、他者を大切にすることができるのです。

日本や日本人だけが良くなればよいわけではありません。また、他国や他国民だけが良くなればよいわけでもありません。皆が自国も他国も大切にできて初めて、本当の平和が訪れるのです。

おわりに

「ワの会」は「ワを大切にする人」の集いの会です。ワを大切に生活することは一人でもできますが、ワの人が集えばさらに楽しく、世の中まで明るくなると思っています。ワの会の仲間になりませんか?

目次