Q.個人主義とは? −「ワ」の視点でみる個人主義−

「ワ」についての記事を書いていると、『誤解を生じる説明かもしれない』と思うことがあります。

「ワ」の思想は、何かや誰かを批判する目的をもちません。「ワを大切に生きている」ただそれだけです。しかし、それ故に誤解を生じることがあります。誤解を生じる恐れのある事柄についてはしっかりと「違い」や考え方を明記することが最善だと思っています。

例えば「個」という言葉もそのうちの一つです。「個」がつく主義に「個人主義」がありますが、「ワ」と「個人主義」の考え方を同一視した場合、「ワ」の解釈が別の方向へ進んでしまうかもしれないという懸念から、このページを作成してみました。

「ワ」の思想からみる「個(ワの人)」と、「個人主義」の思想とは異なります。まずは知識として「個人主義」という言葉の意味を知り、そこから「ワの視点でみるとどうなるのか?」という感じでその「違い」を書いてみたいと思います。

目次

個人主義とは?

まずはじめに、「個人主義」という言葉の意味を調べてみました。
以下のように書かれています。

権威を否定して個人の権利や自由を尊重する立場、或いは国家や社会の重要性における根拠を個人の尊厳に求め、その権利と義務の発生原理を説く政治思想である。(略)

対義語は全体主義・集団主義。

ウィキペディア日本語版【個人主義】から一部引用

これらの説明と対比しながら「ワ」の思想との違いを説明してみます。

「ワ」とは?

まずは「ワ」の思想を知らない方のために「ワ」を簡単に説明しておきます。

「ワ」とは、物事の捉え方や考え方の概念を表した「ワの会」独自の思想で、「ワ」「マル」「螺旋」「球体」の考え方で全体をみる方法です。

世の中のバランスが崩れていると感じる世界で、『どうしたら皆が幸せに、豊かに暮らせるようになるのか』そして『皆の意識が変われば世界も変わる』という考えを一つにまとめてみたら「ワ」という考え方にたどり着いたという「ワの会」オリジナルの概念です。『世界をよくして、自分も安心して幸せに暮らす』ための方法が「ワ」です。

「ワ」については、以下の記事で詳しくまとめているので、そちらを参照ください。

1:「権威」に対しての考え方

それでは、先ほどの「個人主義」の意味に書かれている言葉について、それぞれ比較しながら見ていきたいと思います。まずは「権威」に対しての考え方です。

個人主義では、「権威」を否定するとしています。

「ワ」の思想でも、「権威」は「ワを乱す」と考えています。そのため、個人主義と同じく「否定する」立場です。

日本国憲法に書かれている「権威」

「個人主義」は、日本国憲法と深い関わりのある考え方です。「権威」という言葉は、日本国憲法の【前文】に記されています。(リンク先のページは現在、辞書の引用について著作権の不明点があるためパスワード保護中です)

日本国憲法 前文 より一部抜粋

そもそも国政は、国民の厳粛(げんしゅく)な信託(しんたく)によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受(きょうじゅ)する。

日本国憲法 前文 より一部抜粋し、ふりがなをつけています。

(筆者の解釈を読む場合はクリックしてください)

そもそも国の政治は、国民から厳かに信用され、委託されたことによるものであり、国の政治の権威は「国民」に由来し、国の政治の権力は「国民の代表者」がこの権力を行使し、その結果生じる「幸福と利益(人々の生活の質を向上させるための施策や制度)」は「国民」がこれを受けとる。

ちなみに、戦前の大日本帝国憲法にはこのような「権威」の表記はありません。

2:「個人の権利や自由、義務」に対しての考え方

次に「個人の権利や自由、義務」に対しての考え方です。

個人主義では、「個人の権利や自由」を尊重する立場ををとります。または、「個人の権利と義務」は個人の尊厳を根拠に発生するという考え方をするようです。

日本国憲法では、多くの条文が該当します。例えば【第3章 国民の権利及び義務】に記されている条文には、「基本的人権」や「権利と義務」などが記されています。

それに対して「ワ」の思想では、少しだけ補足説明が必要です。「権利」「自由」「義務」に分けて書いてみます。

「権利」

「ワ」の思想では、まず大前提として、現在の世の中の「ワ」は「乱れている状態」だと考えています。そのため、そのような乱れた状態の世界では、「個人主義」のような「個人の権利」が認められて、尊重されるのは当前であり、最重要だと考えます。

ですが、「ワ」が考える本来の「ワを大切にする人」たちで構成されたワの世の中では、すでに「ワが整っている状態」なので、「個人」が「権利を主張したい」と感じる出来事がありません。そのため、「個人」が権利を主張する必要がなく、「権利」という概念をもちません(「ワ」の思想で考えるとき、権利という言葉は少し強すぎる言葉で、諍い(いさかい)を起こすなど「ワを乱す」考え方としています)。

このようなことから、「権利」とは、「乱れたものを整わせようとする働き」があると考えられます。

「権利」は、「ワが乱れている今の世の中」だからこそ必要なものである、ということです。乱れた世の中で「個人の権利」が失われてしまったら、多くの混乱や不平等を生み、そして支配や搾取など「強いものの力」が蔓延してしまう恐れがあるでしょう。

ですから、「ワ」の思想では、「現代の世の中」では個人主義と同様に「権利」を当然のこととして尊重します。そして将来、「ワの人」が増えて「ワの世の中」になれば、すでに調和がとれているため、個人が権利そのものを主張する必要がなくなる、と考えています。いずれにしても、「権利」を尊重する立場です。

「自由」

前項と同じで、「ワ」では、まず大前提として、現在の世の中の「ワ」は「乱れている状態」だと感じています。「ワ」の思想でも、そのような乱れた状態の世界では、「個人主義」のように「個人の自由」が認められ、尊重されるのは当然であり、最重要です。

とはいえ、「ワ」が考える「自由」の意味は、これらの自由とは少し異なります。

『自分の気持ちのまま』、『思うまま』に考えたり、行動を起こしたりする「自分軸の自由」という意味だけではなく、もちろん「他人軸の自由」でもなく、「ワ」としての自由とします(ワの自由)。現在皆が知っている「自由」という意味は個人主義の他にも資本主義的な考えを併せ持つのかもしれません。

「ワの自由」は、『自分の気の向くまま』『思いのまま』ということだけでなく、「ワ」を大切にするため「周り(全体)」にも気を配ります。すべての「ワ」が「すべて自由になる」、ということです。「全体主義」という意味ではありませんが、「個人」だけでなく、ワの人やワの環境など「複数のワ」を一つの単位として、「マル」「螺旋」「球体」と見ることもあり、それらの併せ持つ「自由」なので各個人の思う『自由気ままな自由』とは言えないかもしれません。

言葉で表現するのはとても難しいのですが、だからといって、「ワの自由」は「拘束的な自由」ということではありません。ワの自由は、『皆が健やかに、心が軽く、満たされ、安心して幸せに暮らす』ことができる自由なので、わざわざ「自由とは何か?」を考える必要がないのです。言い換えれば、「ワの自由」は「自然豊かな環境の、きれいで清々しい空気のようなもの」で、大きな「深呼吸的なもの」と言えるのかもしれません。

現代のこの世界が、「自由のないワが乱れた世界」だと感じるからこそ「自由」を主張したり、「自由」を重んじる決まりをつくる必要があるのではないでしょうか。

「ワが整っている世の中」では、いつでも心は自由で開放的です。『気の向くまま』『思いのまま』という認識ではないかもしれませんが、いつでも満たされているため、自由を主張する必要はありません。

ですから、「ワ」では、「現代の世の中」では個人主義と同様「自由」を尊重しますが、「ワの世の中」になれば、すでに調和がとれているため、個人が「自由」そのものを主張する必要がなくなる、と考えています。いずれにしても、「自由」を尊重する立場です。

「義務」

上の2つと同じように、大前提として、現在の世の中の「ワ」は「乱れている状態」だと考えます。

そのなかで、「やらなければいけないこと」を決まりとして作ることは、致し方ないこととは思います。しかし、「ワ」では、権利と同様に「ワ」が整えば、義務という決まりを作る必要が無くなると考えています。

「義務」は、だいたい「権利」と一緒に語られることが多いです。「権利を主張するなら義務を果たせ!」「義務を果たしているんだから権利を主張するんだ!」などの相互関係を無意識に考えているのかもしれません。

日本国憲法にも「義務」として「国民がやらなければならないこと」が記されています。「自由や平等など」を国民の権利とし、「勤労や納税、教育など」を国民の義務としています。

すべての人が「ワ」を大切にする「ワが整っている世の中」なら、「○○せねばならない」と強制する決まりは不要です。「ワ」が整うということは、「ワ」を大切にする皆が自主的に動いたり、考えたりするため、それだけでうまく回るのです。これは、ワの概念では「ワ」が「マル」「球体」となり、「球体」が「螺旋」を描きながら世界を運営していくというイメージです。

現在の世の中は、「ワ」が乱れています。多くの人が「ワを乱し」ながら生きています。そのような環境下では、「義務」という決まりをつくる他選択肢はないとは思いますが、「ワ」では、「義務」という概念は権利と同様に「ワを乱す」考え方であるとは、はっきりと記しておきたいと思います。

3:「尊重」と「尊厳」に対しての考え方

次は「尊重」と「尊厳」についてです。

個人主義では、個人の権利や自由を「尊重」し、また、「個人の尊厳」を根拠にして個人の権利と義務を発生させています。

「ワ」の思想でも、個人の権利や自由を「尊重」し、「個人の尊厳」を大切にして重んじる立場です。しかし、先に記したように「権利」「自由」「義務」については「ワ」独自の考え方をもっています。

日本国憲法に書かれている「尊重」や「尊厳」

「個人主義」は、日本国憲法と深い関わりのある考え方です。「尊重」や「尊厳」という言葉は、日本国憲法の【第3章第10章】に記されています。(リンク先のページは現在、辞書の引用について著作権の不明点があるためパスワード保護中です)

日本国憲法において、「個人の権利や自由」は「個人の尊厳」として保障されています。

日本国憲法 第3章 国民の権利及び義務 第10章 最高法規 より抜粋

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法(りっぽう)その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第24条(2) 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻(こんいん)及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性(りょうせい)の本質的平等に立脚(りっきゃく)して、制定されなければならない。

第99条 天皇又は摂政(せっしょう)及び国務大臣(こくむだいじん)、国会議員、裁判官(さいばんかん)その他の公務員(こうむいん)は、この憲法を尊重し擁護(ようご)する義務を負ふ(おう)

日本国憲法より一部抜粋し、ふりがなをつけています。

ちなみに、戦前の大日本帝国憲法には「尊重」や「尊厳」などの表記はありません。

まとめ

「個人主義」を「ワの思想」でみてみました。今回は憲法の話題が入ったため、表現に言い間違いがないか緊張しました。

価値観や思想の違いにより、一つの言葉でも、人それぞれ定義や意味が異なることがあります。それが一つの文章となったらなおさら、文章全体の解釈や、受け取る意味合いまでが変わってくるものです。

個人主義の説明に含まれている「権威」「権利」「自由」「義務」「尊重」「尊厳」という言葉について、ワの会としての解釈と意味を書いてみました。

「ワ」の思想と同じとする部分が多いですが、「ワ」特有の考え方を説明するのはいつも表現の難しさを感じます。

おわりに

「ワの会」は「ワを大切にする人」の集いの会です。ワを大切に生活することは一人でもできますが、ワの人が集えばさらに楽しく、世の中まで明るくなると思っています。ワの会の仲間になりませんか?

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