魂の世界の物語は、
苦しみの中から生まれた物語です。
「なぜ?」の人生の矛盾を解きたくて生まれました。
魂の世界の物語ができるまで
私は、魂の世界の物語を執筆するにあたり、
気を付けていることがありました。
それは、「なぜ?」の徹底的な追及です。
私自身、この「魂の世界の物語」の思想で癒され、
生きる目的や
生きる意味を見出すことができましたが、
はじめは、ほとんどがイメージでした。
『そのイメージをどうにかして見えるものにしたい』
そう心の中で想うと、
そのイメージは、
閃きによりポツリポツリと言語化されはじめたのです。
そして、この物語を執筆するに至りました。
言葉、表現
もともと私は、
文章力や表現力があまりなく、
得意ではないので、
イメージの言語化はとても難しかったことのひとつです。
浮かんでくる言葉の意味が
本当に適切なのかを随時調べたり、
誤解を招く表現にならないように気を付けたり、
シンプルな内容になるように
などと意識しながら書き続けました。
なぜ?の追求
その中で、私は、
徹底的に「なぜ」を追求しました。
人生において誰もが感じる疑問に対して、
矛盾やこじ付けのない話になるようにとても意識しました。
もし、
矛盾やこじ付けを感じた場合には、
思想を発展させることで、
物語を紡ぎだすようにと心がけました。
これは、私自身が人生の荒波に揉まれ、
打ちのめされて、
負けて、
ボロボロになったときに感じた
『なぜ?』の追求でもありました。
人生の・・・なぜ?
「なぜ?」の追及について、
例えを1つ書かせていただきます。
一般的な情報として公開されているものを集めて、
以下のように連想していきながら、
追求を進めていきました。
「なぜ?」と考えてみました。
魂を向上、成長させることができます。
さらに「なぜ?」と追求します。
大我に目覚めるとはどんな意味があるのでしょうか。
魂を成長させることができる・・・?
最終的な着地地点はどこ?
なぜ?を追求していくと、
『無償の愛に目覚める』ことが魂の目的とありました。
無償の愛に目覚めることで、
魂は成長するらしいのです。
実際に、私は、
人生の苦しみを乗り越えるため、
魂の向上という思想を信じて、
魂をより輝かせるために、
魂の修業として『苦しみに耐える』という実体験をしていました。
しかし、
年を追うごとに、
状況は悪化し、
つらさや苦しみは増すばかり。
大我に目覚めて、
魂を向上させることが、
何の意味があるのか?
何とつながるのか考えるようになったのです。
そして、再びなぜ?を追求します。
私は、まだ努力が足りないと思い、
心を新たに、
再び、魂の修行という苦しみの中に飛び込みました。
しかし、
一向に苦しみは癒えません。
混乱が湧き起こり・・・
「魂の成長を目的として
地球に生まれて、生きている」
という話なのに、
最終的な目標は、幸せになるため?
自分で言うのもなんだけど、私って、
日ごろから無意識に、
大我的な考え方してると思うんだけど…
でも、幸せになるとか、
満たされているとか、
状況が改善されているなんて実感は全くありませんでした。
大我に目覚めたときの「幸せ」ってどんなことを指すの?
魂の修業だから、
苦難の人生が幸せとでもいうのでしょうか。
そこでまた、なぜ?の追求です。
大我に目覚めると幸せになるらしい…。
とすると、
魂が成長すると幸せになるということ?
でも、
魂が成長すると
学びが一段と難しくなって、
つらい人生の人が多いといわれています。
そこで私は、理解することができなくなってしまいました。
なぜ?の行き止まりです。
発想の転換
●魂が成熟していると、
より魂を輝かせるために苦労の多い人生を自ら選んで生まれてくる。
●幸せになるために、
大我に目覚めて無償の愛を表現する。
ここに矛盾を感じてしまった私は、
発想を転換して再びなぜ?を追求してみることにしました。
生きているときに
「大我に目覚めることで魂を成長させた」
と仮定したら、
死後、
あの世に行ったら成長した魂はどうなるの?と。
厳密にいうと、
あの世は「霊界」という世界で、
魂には「階層」があり、
地球で魂を磨くことにより、
ピラミッドの上へ行くことを目指す。
というような内容で
説明されているのを見たりするのですが、
では、
もし、ヒエラルキーがあると仮定して、
ピラミッドの頂上を目指して
魂を向上させるというのならば、
再び次のような問いが頭をよぎるのです。
「そう簡単にピラミッドの頂点には行きません」
などとなるのでしょう。しかし・・・
とてつもなく永い未来を想像して、
すべての魂が、
延々と魂の成長をしていったら、
少なからず、
ピラミッドの頂点にたどり着くであろう魂は出てくるはずです。
その時、
その魂の次の目標はどんなものなのでしょうか。
思想の終着点
…と、
このように
実際の人生を体験することと並行しながら、
追求を続けていくと、
経験的にも、
直感的にも、
このような思想に、
現世的なものを感じてしまったのです。
物質的なものの見方、
損得勘定や
優劣などの比較や
差別的思考が入ったものの見方だなと思ってしまったのです。
現世的だから、
とても分かりやすいし、
理解しやすい。
だから、
行動にも移しやすいし、
考え方も変えやすいのです。
人気も出やすいのです。
しかし、
それで、つかの間の幸せを得ることができても、
その幸せは継続しない。
または、
長期的な幸せを得る方法ではないことに気がつきました。
それまでは、
人生の波といわれているような、
「良い時」と「悪い時」を、
『人生にはバイオリズムがある。
生きていれば良い時も悪い時もあるさ』
という考え方で、
幸せが一時的であることに
疑問を抱くことはありませんでしたが、
そもそも、
幸せって何?と考えてみると、
幸せという概念が
とてもあやふやなものだと気づくことができたのです。
(「大我の愛」について、私自身は「大我の愛はすべての魂がはじめから持っているもので、魂は皆、すでに大我の愛が在る状態で存在している」と考えています)
内なる神様(魂)に問いかける
このような形で過去、何年間も
「なぜ?」を追求しながら生きていきました。
つらい人生を送りながらも、
なぜ?の追求は、
不思議で面白く、勉強になりました。
私が勝手に命名した
『内なる神様(魂)』に疑問を投げかけると、
ある時ふと「答え」を受け取ることができるのです。
そして私は「あ!そうか!」と納得します。
そして、
検証という意味合いを込めて、
その閃きから得た答えを実践して生きていきます。
すると、また、
同じように「なぜ?」を感じるので、
再び内なる神様に問いかけてみるのです。
そのようにして、
だんだんと「人生の縮図」ともいえる、
魂の世界の物語は紡ぎだされていきました。
この「魂の世界の物語」の思想は、
循環していて、
行き止まって停滞することはありませんでした。
そして、
今でも私自身が苦しみを感じるときに、
考え方のヒントとして存在してくれて、
私の「生きる」にとても役立ち、
この思想に助けられています。
魂の世界の物語と私
「魂の世界の物語」は想像のお話です。
現在ある様々な思想が
ミックスされたように感じる話ですが、
この物語の完成には、
私の中に存在する「魂」と、
「脳」が協力して創り上げたお話のような気がしてなりません。
私自身が後から読んでも、
「へぇー。そうなんだぁ…」
と教えられることが多いのです。
確かに私自身が書いているのに、
書いた本人が「教えられる」って…不思議です。
ですから、
魂の世界とも本当につながっているような気さえしています。
私の中には、
「魂」が確かに存在し、
その「魂」は神様のように私を助け、
導いてくれているのがわかります。
そして、
脳は、アンテナのように感情や閃きをキャッチし、
いろいろなことを気づかせてくれるのです。
私は、この物語で救われました。
正直に申し上げます。
もう様々な情報や思想に惑わされたくありません。
もう、これ以上傷つきたくないのです。
「魂の世界の物語」は、
生みの苦しみを経て生まれた物語です。
ぜひ読んでみてくださいね。
傷ついているあなたへ
私と同じように傷ついているあなたに、お伝えします。
生きていると、
つらいことがあるかもしれません。
その時に、
気持ちが楽になる考え方をもってください。
苦しい思考で、
自分を追い込まないでください。
気持ちが楽になる思考で、
自分自身を癒して「生きて」くださいね。
「魂の世界の物語」本当におすすめです。
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魂の世界の物語とは、「生まれる前の世界」から「死後の世界」を経て、「元の世界に帰る」までの、全50項目にわたる長編物語です。
このオンライン版では、40話で構成されています。
はじめまして。 『魂の世界の物語』の案内をさせていただく「魂」です。 名前はありません。 地球で生きる皆さんと同じタイプの「魂」です。 (私も条件を携えれば地球に生まれ、地球で生きることができます) これから 『私たち魂[…]
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