【自業自得】他人を苦しめてもバチが当たらない人と他業自得で苦しむ人たち

自業自得と他業自得

他人に利用されないように生きる方法とは?

目次

行動の責任を取らない人たち

自業自得という言葉がありますが、自業自得とは、自分自身がした行為の結果を自分自身が受け取ることです。

しかし、自分自身の行動や言動に対して、責任を取らない人々が増え続けています。そして、責任を取らないばかりか、
その尻拭いを他人に押し付けて平然と暮らしている人々がとても多いのです。

小さなことでは、道端にゴミを捨てることが挙げられますね。自分自身が出したごみは自分が持ち帰り捨てることができればいいのですが、それができません。そして、ゴミを捨てた本人ではない「他の誰か」が、他人が捨てたゴミを、時間を割いて掃除しているのです。

少し大きなことでは、会社などでミスがあった場合、本当は上司のミスなのに、部下のミスとして部下が責任を取らされることも水面下ではよくあることです。そのために部下は退社を余儀なくされてしまったり、挙句の果てには、死を選んでしまうこともあるのです。

また、大きな資金などの運用ミスで、多大な損失が生じたにもかかわらず、それを公表せずに、税金や料金の上乗せで補填するということもあります。大きな組織のミスは、簡単に公表されることはありません。そして、その尻拭いは、その組織に属する人々が支払うことで帳尻を取っているのです。

自業自得を信じても・・・

ずるい人たちが人をだましたり落とし入れる様を見て、自業自得だから、いずれバチが当たるのでは?・・・と思って見ていても、ずるい人たちが、自業自得で苦しむことはめったにありません。

ずるい人は、人生を謳歌しているように見えます。

ずる賢い人たちは、ひと様に迷惑をかけているにもかかわらず、自分だけが幸せに暮らしているように見えるのです。その結果、モヤモヤを感じている人々がいます。

ずる賢い人たちの責任を取らされ、尻拭いをさせられている人々です。

借金の返済や、迷惑をかけた相手方への謝罪、日常的な尻拭いの数々など、他人の行いの結果を受け取り、そのために行動し続けなければならない境遇にいるため、モヤモヤした気分や苦しみから逃れられないのです。

自分の行動に責任を取らずに、やりたい放題の人たちを横目にその責任をいつも取り続けているのです。

このように、他人の行為の結果で、苦しんでいる人たちが大勢います。

他業自得の苦しみを自業自得と勘違い

他人の行いの結果、苦しみを受け取る人たちが大勢います。

その人たちは、他人の尻拭いができる優しくて、根気のある人たちです。しかし、心の根底では、苦しくて恨みたくなる気持ちを抑えながら生きているのです。そして、この苦みの原因は「自業自得なのでは?」と、いつも自問自答して不安を感じています。

「○○だから、○○なんだ」と、無理な結果を自分自身の行いに結びつけて考えてしまいます。

たとえば、「この会社に入社した自分が悪かったんだ」とか、「この人を選んで結婚した自分が悪いのだ」という風に…。

それは「自業」ではありません。自分を責める必要のない出来事です。相手が、自分の責任を取らないことがあなたの責任であるはずはないのです。

それは、「他」です。他業自得です。

「他」の「業」を自分自身が得ている状況なのです。

できれば、他業自得で苦しみたくはないのです。それなのに、その現実の終わりがなかなか来ずに、苦しみ続けるのです。

ずる賢く生まれるという役割

何をしてもバチが当たらないと思って、無責任な行動をとるのは間違いです。しかし、ずるい人は、不思議なことにバチが当たらないものです。

なぜでしょうか。

ひとつには、その人は「ずるい人」の人生を歩む役割があるのかもしれません。

「ずる賢く人生を生きる」ために生まれて、「人に疎まれる」という役割を遂行しているのです。地球の不調和を表現するために、ずる賢さを持つ人が存在する必要があったのです。

そして、そのずる賢さに翻弄される人たちは、そのずる賢さによる苦しみを調和に導く役割があるのです。ずる賢さに翻弄されて、他業自得で耐えながら苦しみ続けるのではなく、その苦しみを調和に導くためにできることをする必要があるのです。

「できること」は争いではありません。「表現する」という行為から調和を進めることができます。

調和を進める方法

バチが当たらないその他の理由

バチが当たらないそのほかの理由は、見えていないことと、時が来ないことが挙げられます。

バチが当たっていないように見えても、実際には、その人は後悔しているかもしれません。直接謝罪を受けたり、責任を取ることをしない人なので、気づくことができないかもしれませんが、実際の心の中では、その人は十分反省し、後悔しているのかもしれないのです。

後悔していると、自分自身に起こる悪い出来事をバチだと受け取りやすくなるので、ずる賢い人は、バチを受けていると思って反省しているかもしれません。

また、そのずる賢さゆえの行動が、人生のシナリオの軌道と逸れている場合には、ある程度の時を経て、軌道修正を知らせる
魂からのメッセージが送られることがあります。

その魂からのメッセージは、不快感として伝わり、本人は、バチを受けているように感じたり、苦しみを感じたりすることもあります。

もしかしたら、あなたの知らないところでずる賢い人も苦しんでいるかもしれません。ですから、あなたを苦しめる「ずる賢い人」のことを考え続けて一喜一憂する必要はありません。

他人に利用されないように生きる方法

現在は、自業自得を簡単に表現できる時代ではありません。自業自得という言葉が、善意の人を苦しめる結果になってしまうからです。

そして、他業自得で苦しんでいる人々はその苦しみを生み出したずるい人本人に、「お前の自業自得だ」などと言われて責められることが多々あります。すると、事実ではないにもかかわらず「自業自得だから辛いんだ…」と信じてしまい、落ち込んでしまうのです。

これは、明らかに利用されてしまった状態です。

他人に利用されないように生きる方法はただ一つ。「しっかりと自分自身を持って生きること」です。あなたが、地球上で生きている間に出来ることは限られています。そして、そのできることには、あなたの楽しみが付加されています。その、限られた「できること」をすることがあなたの地球での役割なのです。

その役割は、喧嘩することや争うことという意味ではありません。自己の内部や地球を調和に導くという意味の「魂の役割」です。

あなたがなぜ生まれて、今、そこで生きているのかに気づき、シンプルに素直に生きることで、あなた自身がしっかりと自分自身の人生を見つめることができるようになります。

あなたがしっかりと自分自身の人生を歩むことができれば、他業自得で苦しむことはなくなります。そして、ずるい人たちは、自分でその責任を受け取ることにつながっていくのです。

誰かのためにと思って、善意で行動を起こしても、それはあなたのためにはならないかもしれません。あなた自身も、善い行いをしたから報われて当たり前などと期待をせずに、あなたの生きる道を歩んでください。

もし、人のために行動を起こすのなら、その報いを受け取らない覚悟をして善意の行動をとってください。それが、他人に利用されない唯一の方法なのです。

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