同じ出来事でも、
楽しく、幸せを感じるときと、
辛く、不幸を感じることがあるのはなぜ?
あなたにとって、「幸せ」とは何ですか?
あなたは、どんな時に「幸せ」を感じますか?
「お金に困らない」ことですか?「家族仲良く暮らせる」ことですか?「仕事が充実している」、「好きな人と一緒にいる」・・・など、いわば「順調に生きている」、「望みが叶えられた」と感じるとき、あなたは、幸せを感じるのではないでしょうか。
おいしいものを食べても幸せを感じことがあるかもしれませんね。(私は、おいしいもの食べると「幸せ~」と呟いてしまいます)
幸せの種類
幸せという感情は、すべて同じように感じてしまうものですが、幸せは、「物質的な幸せ」と、「非物質的な幸せ」があります。
物質的な幸せは、物質的に満たされる幸せで、肉体的な幸せです。対して、非物質的な幸せは、見えないものに対する幸せで、深層心理からの幸せです。
物質的な幸せ
物質的な幸せは、物質的に満たされる幸せで、肉体的な幸せです。生きるための「現実的な幸せ」と言い換えることができます。
私たち人間が、生きるために必要な「欲」を満たすと、感じることのできる幸せです。先ほど質問した「幸せとは何か」のうち、「お金に困らない」ことや、「家族仲良く暮らせる」こと、「仕事の充実」、「好きな人と一緒にいる」など、これらはすべて、対極に「欲」の心理がある、物質的な幸せです。
心の中に、「〇〇したい」という希望があり、その「〇〇したい」という希望が満たされて初めて、幸せを感じます。「欲しいものを手に入れたい」「健康になりたい」「不自由なく暮らしたい」など。もし、「望みなんてないよ~」「でも幸せだよ~」と感じてらっしゃる方がいるとしたら、希望という認識がなくても、「当たり前」という気持ちが根底にあると思います。
「〇〇で当たり前」、例えば、「みんなと同じで当たり前」「普通が当たり前」など。「当たり前」の感情が、満たされるか、満たされないかの違いで、幸せを感じたり、不幸を感じたりするのです。「当たり前」という考え方は、「比較する対象が存在する」ということなので、欲を根底とする考え方と同じです。
ですから、「欲」が満たされれば幸せを感じることができ、「欲」が満たされなければ、不幸を感じます。

非物質的な幸せ
非物質的な幸せは、見えないものに対する幸せで、深層心理からの幸せです。「魂の幸せ」と言い換えることができます。心の奥底から湧き起こる幸せです。「欲」の成就とは関係なく、自分の人生を歩んでいるときに幸せを感じます。
「自分の人生」とは、「自分らしく生きる」と言い換えることができるように思われますが、「自分らしく生きる」ことが、「自分の人生」とは限りません。
自分らしく生きることの勘違い
「自分の人生を生きる」ことと、「自分らしく生きる」ことの根本的な違いは、視点です。
「自分らしく」の「自分」に対して、客観的に観るか、主観的に観るかだけでも、「自分らしさ」は異なります。自分で把握している「自分の性格」と、周囲の人から見た「自分の性格」が異なっていることを経験したことはありませんか?これは、ある一方向からの視点から見た「らしさ」なのです。
『自分のことは自分が一番よく知っている』と思いがちで、本当にその通りなのですが、その反面、『自分のことを自分が一番よくわかっていない』こともあるのです。
これが何を意味するのか…。
この、一方向からの見方や考え方自体が、物質的な考え方…、すなわち、「欲」という感情に囚われている可能性があるということなのです。ですから、「自分らしい」と思っていること自体が、実は「まったく自分らしくなかった」ということが往々にしてあるのです。現に、急に好みが変わって、雰囲気がガラリと変わってしまう人は多いですよね。
変化を伴う「自分らしさ」をもとに人生を生きても、それは「自分の人生」とは異なるため、深層心理からの幸せ、すなわち、「魂の幸せ」を感じることはできないのです。
「自分の人生」とは、「自分らしく生きる」という解釈ではなく、深層心理の中に存在している魂が、自ら決めた人生を生きることを指します。
本当の幸せはどっち?
「物質的な幸せ」と「非物質的な幸せ」のうち、どちらの幸せが「本当の幸せ」だと思いますか?
『生きていかなきゃいけないから、物質的な幸せが本当の幸せ』だと思いますか?生きていなかければならないのは、その通りです。でも、本当の幸せはどちら?と答えるならば、「非物質的な幸せ」の方なのです。
これは、私たちが「生きるために、生きている」のではなくて、「生きる目的のために、生きている」からに他なりません。
生きる目的があるため、その生きる目的に向かって生きているときに、深層心理の中に存在している魂が、幸福を感じるのです。深層心理の中に存在している魂が、充足感を感じているとき、肉体を通して脳に伝わり、幸せを感じることができます。
「自分の人生を歩むこと」こそが、本当の幸せなのです。
同じ出来事による、感じ方の違い
幸せには、物質的な幸せと、非物質的な幸せがあることがわかりました。
そこから考えると、同じ出来事でも、幸せと不幸の「感じ方の違い」が表れてくるのがわかると思います。物質的な幸せの場合、同じ出来事でも、その出来事を「望んでいた」場合には、幸福を感じ、その出来事を「望んでいない」場合には、不幸や不運を感じます。
物質的な不幸の場合も考え方は同じで、その出来事が「望みどおりにならなかった」場合には不幸を感じますが、その出来事の起こりうる不幸を想定していた場合、幸福こそ感じないものの、強い不幸や不運の感情は起こしにくくなるものです。
苦痛への対処
物質的な幸せの対極にある「苦痛」とは別に、人生には、「真の苦痛」も存在します。原因や因果関係が全く分からない、降って湧いたような不幸、不運です。
物資的な苦しみならば、「欲」の成就がなされれば幸せを感じることができるので、努力するか、または、諦めるかの選択肢を選ぶことが可能です。しかし、物質的な不幸ではない、逃げられない不幸が存在します。この場合の考え方には、少し工夫が必要です。
人生は、シナリオありきという考え方
原因がわかっている不幸ならば、対処のしようがあります。しかし、身から出た錆ではなく、降って湧いたような不運、不幸はどうすることもできません。
ただ、それを耐え忍びながら生きなければならないのは辛すぎます。生き地獄です。これを、考え方を工夫して、乗り越えてしまいましょうというのが、「シナリオありき」という思想です。
『私たちは、たまたま人間として生まれたのではない。目的を持って地球に生まれて、目的をもって地球で生きている。その、目的達成のために、私たちは、自らシナリオを創作した。その「シナリオ」に描かれていることが、今、目の前に起こっているのだ』と。
この「シナリオありき」の考え方をすることによって、辛いだけの感情しか抱くことができなかった出来事が、自分にとって「必要な出来事」になります。
そして、その「シナリオ」の存在自体が、私たちの守り神のように私たちを導き、その後の生き方を教えてくれて、心を楽にしてくれるのです。
ただの「おとぎ話」のような、シナリオありき思想ですが、世の中と照らし合わせてみると、人生のシナリオに当てはまる人々ばかりです。「シナリオありき思想」は、取り入れても損はしない思想です。

生きるつらさの中に存在する真の幸せ
生きることがつらい時、どうしても「不幸」という感情が湧き出てしまいます。そのようなときには、少し乱暴な言い方になってしまいますが、一度、少しの時間だけでも、「どうにかなる」、「どうにでもなれ」くらいの気持ちになってみましょう。
すると、「人生をコントロールして、人並みに生きなければならない」と思う感情が薄れ、「人生はコントロールできないのかもしれない。流れに身を任せてみよう」という感情へと移行していきます。
すると、脳や頭で思いめぐらせていた不安な思考がだんだんほどけて、深層心理に存在する魂の心が主張をし始めます。
深層心理に存在する魂の心が主張を始めると、今までの自分の価値観、自分の生き方との間にギャップが起こり始めます。
魂の声を聴き、恐れずに受け入れると、「自分の人生」に気づくことができるでしょう。それこそが「真の幸せ」です。
その幸せは、あなただけのものです。だれかと共通することもなければ、共有する必要もありません。
ただ、共通して言えることは、つらい環境に生きていても、本当の幸せに気づくことができれば、「自分の人生」を生きることができ、勇気づけられ、励まされ、人生が楽に、生きやすくなるということなのです。
