25.魂の修行、カルマの解消を信じる未来
人生のシナリオに、「カルマの解消」が書き込まれることはないことは先にお話ししました。
苦しみから逃れるために、「カルマの解消」という思想を信じ、「魂の罪」を想像上にのみ存在させて、懸命に乗り越えようとしている地球の人々の姿を、魂の世界からいつも観ていますが、とても痛々しく、観るに堪えません。
あなた方の魂の仲間である中魂からも、魂の世界から気付きのメッセージを送り、また、あなたの内部に存在している個魂からも、あなた方の思考に直接メッセージを送っていますが、なかなか心にあなた方の届かないという現実がそこにはあります。
つらく、苦しい思いをしている地球の人々は、一人で苦しみ、悩み、さらに我慢し、努力し続けて、その結果、精神的にも肉体的にもボロボロになり、命を削りながら耐え続けているのです。
カルマの解消や魂の修行などの思想を深く信仰した結果、そのような苦しみを生み出してしまう人がどんどん増えてしまっています。
カルマの解消の現状
「カルマの解消」や「魂の修行」という思想を信じ、魂を向上させたいと願う地球の人々は、魂を輝かせるために懸命に努力しているのを魂の世界の魂たちは知っています。
「この世は修行の場。つらくても苦しくてもがんばらなければ…」、
「神様は、乗り越えられる試練しか与えない。だから、乗り越えられるはず…」
「前世で悪いことをした報いを今世で受けているから、我慢して耐え抜こう…」
「魂が成熟していると苦労の絶えない人生になるらしい。もっと頑張らなくては…」
「魂を成長させて、魂をより輝かせるようにいつも笑顔で朗らかにしていよう…」
など、
あなた方も、つらいときにそのような考え方をしたこと、ありませんか?
魂には年齢や成熟度がないのと同じように、魂が自らの魂の修行のために地球に移動することはなく、地球で生まれ、地球で生活することで「魂」が磨かれることもありません。すべての魂は、はじめから完全な状態で存在し、いつも変わることなく、光り輝いているのです。
また、過去性または前世の罪を今世で償うという思想は、魂の罪が存在しない以上、「償う罪自体の存在がない」ため、解消できる物事がはじめから存在しません。ですから、そのような思想を信じていくら頑張っても、いくら耐えても現状は一向に変わることはないのです。
地球では、時間という流れがあるので、時間的解決を図れるようなものは、時間とともに解決し、苦しみから乗り越えることが可能です。しかし、解消できる物事がなければ、やみくもに我慢しても、例え、頑張ってみたとしても、人生は好転しないばかりか、つらさは増し、不幸を深めていくことになってしまいます。
カルマの解消や魂の修行思想で苦しみが増す理由
なぜ、カルマの解消や魂の修行という思想を続けると、苦しみが増してしまうのでしょうか。別の視点からもお話ししてみましょうか。
それは、1.「魂の記憶や前世の記憶がない」ことと、2.「孤」と「独」は調和と離れてしまうからの2つの理由が挙げられます。
あなた方は、生まれる前のことを覚えていますか?
前世や過去性でどんな人生を送ってきたのか覚えていますか?
①魂の記憶がない
地球で生きている人々には、魂の記憶はありません。もちろん、過去世や前世の記憶も、生まれる前の記憶もほとんどないばかりか、記憶自体が全くない人がほとんどです。
元となるストーリーがありません。すべてが、想像であり、憶測です。
想像するストーリーが少し異なるだけでも、未来はいくらでも変わってしまうのです。想像力を働かせて、「魂の世界」やあなた方が「あの世」と呼ぶ世界に想いを馳せることは、苦しみを癒すのにとても役立つ方法なのは事実です。
しかし、そこに「魂の修行」「カルマの解消」という概念が入ると、少し変わってきてしまいます。
例:人間関係の悩み、苦しみ
「カルマの解消」や「魂の修行」という思想を信仰し続けた結果、どうなるのでしょうか。例えば人間関係のもつれから、悩み、苦しみを生じた場合を具体的なイメージとしてお話ししてみましょうか。
カルマの解消の考え方をすると『きっと、前世で○○さんを傷つけてしまった。だから、その報いを今、受けているのかもしれない』という気持ちから始まります。
カルマの解消が目的ですから、次は、『前世で自分がしたことを、いま逆の立場でされている。だから、我慢して、耐えなければ』と我慢や忍耐が始まります。
実際に、前世で、そのような事実があったのかどうかを確かめる術はありません。ただ、やみくもに想像し、信じて、耐え抜くのです。
また、魂の修行の考え方をする場合、『魂を輝かせるために苦痛を味わっているのだ。これは神様からの愛だ。魂の向上を目指すためには泣き言は言わないぞ』というような気持ちから始まります。
同時に『神様は、耐えられるだけの試練しか与えない。だから、乗り越えられないはずはないのだ』とか、『乗り越えられないのは、自分の努力が足りないからだ。もっと自分に厳しくしなければ』というような気持ちに発展していくこともあります。
魂の向上が目的ですから、『今はつらいけど、あの世に帰ったらきっと報われる』『今は、ただ信じて、頑張って、耐えるしかない』と、見えないものを信じ、見えないものにすがって、我慢して、耐えて、生き抜いているのです。
「カルマの解消」の考え方でも「魂の修行」の考え方でも、このような苦痛が長期的に続く場合、耐えても耐えても、終わりはありません。限りなく続いていきます。
頑張っても頑張っても、いつまでも報われることがないのです。
弱音を吐いて泣き言を言いたくても、魂を向上させるためやカルマを解消するために耐えるしか選択肢がないのです。『自分に与えられた試練』『耐えられないわけはない』と自分を信じ、自分自身を叱咤激励します。
また、『いつか、必ず報われる』と信じ、『神様やお天道様は、いつも見ててくれているのだから』と、まっすぐ生きようと心に誓い、必死に耐え、頑張り続けるのです。
そのようなことが延々と続いた結果、自分を見失い、自信を無くし、心身のバランスを崩し、何が真実なのかわからなくなり、何も信じることができなくなって混乱してしまいます。
想像のストーリーが、あまりにも不自然に創られたストーリーとなればなおさら、脳は混乱し、心身のバランスが崩れ、疲弊していくのです。
②調和と離れゆく「孤」と「独」
本来、あなた方個魂は、地球を調和させることを目的として地球で生きている個魂です。地球で生きているあなた方個魂は、いつも、どんな時でも魂の世界とつながっています。
魂の世界にいる中魂とは、離れた場所にいても密にしてつながっているので、個魂は魂の仲間たちからの導きを信じ、安心して生きることができるのです。
しかし、魂の修行やカルマの解消の思想を信じる人々は、魂のつながりを感じることができません。「孤」であり「独」なのです。
地球において、魂の修行という思想の中で語られる「魂」は、1つの魂を意味しています。「1つの魂が自らの魂を向上させるために修行する」思想なのです。
カルマの解消の思想も「1つの魂」が、以前生きていた人生の罪を洗い出し、「1つの魂がおこなった罪を、その1つの魂が責任をもって解消しなければならない」という思想です。
いわゆる、「自己責任」です。
魂に対する視点が「全体」ではなく、「弧」であり「独」なのです。「孤独な魂」を信じる人は一人で耐え、一人で戦い続けるしかありません。
また、このような「ひとつ」「ひとり」で見る思想は、「勝ち」「負け」という競争を生み出したり、「上」「下」という差別や優劣をつける思想へと発展していきます。
このような「弧」「独」的な魂の思想から、「魂の年齢」「魂の成熟度」という概念や「修行」や「カルマ」などの思想が生み出されたのです。
「魂の競争」や「魂の比較」、「魂の優劣」は、調和の役には立ちません。そればかりか、魂を「孤」「独」にみることにより、魂の階級を表すことにもつながるのです。
現に、地球では、「霊的な世界」と呼ばれている世界をピラミッドのような階級があると説明している現状があります。魂の世界には、そのような階級はありません。あるのは、「大魂」「中魂」「個魂」の魂の3つのタイプだけです。
【魂のタイプ】
魂を輝かせ、魂を成熟させてヒエラルキーを上る姿は、ただの競争です。そこから調和が生まれることはありません。
次回は『<変更不可>引き寄せの法則とシナリオの関係』についてお話します。
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