地球で生まれて、
地球で生きるということは、
「死」と隣り合わせだということ。
人はいずれ「死」を迎える
当たり前だ!
知っているよ!
と感じるでしょうが、
私たちは、いずれ「死」を迎えます。
生まれた瞬間から。
いえ、
厳密にいえば、
「あなた」が、
「あなたのお母さん」のおなかに宿った時から、
あなたの「死」は決まっていることなのです。
現在は、栄養状態もよく、
また科学や医療が発達しているようにも見えるので、
「生まれて当たり前」、
「生きて当たり前」と感じることが多いのかもしれません。
しかし、本来、
私たち人間は必ず「死」を迎える生き物です。
100歳を超えてもなお、
生きる人もいれば、
大人になることもできないまま
人生を終える人もいます。
どうしても、
寿命の長さと幸福度は
比例しているように感じてしまうのも事実です。
現在の私たちは
「生きるのが当たり前」だと思いながら生きています。
身体に異常を感じるとき
『何かあれば病院に行きますか?』
私たちは、
身体に異常を感じると、
病院や診療所に行きます。
病院や診療所に行けば、
病は治ると信じています。
しかし、
残念ながら医療は神ではありません。
どれだけ最善を施しても、
例えば、
病院で高度医療といわれるような
最先端の治療を受けたとしても、
亡くなるときは亡くなってしまいますし、
治らない病気はたくさんあります。
命の重さ
私たちは、
命を軽く見すぎています。
私たちの行動は、
命を大切にしているようでいて、
ある側面からみると、
命を軽く見すぎているという側面もあるのです。
お医者さんに診てもらうという行為は、
「命そのもの」、
「生きる」ことを大切にしています。
しかし、
「どのように生きるか」という
生き方、人生までを含めた、
「生きることのすべて」を大切にしているわけではありません。
本気で「命を大切にする」場合、
生き方、人生をもひっくるめて大切にしてほしいのです。
「生きることが当たり前」
という気持ちが根底にあると、
どうしても、命を軽く見てしまいます。
生きることが当たり前なのではなく、
「死に向かって生きていること」が当たり前なのです。
必ず「死」を迎えることが決まっている
という人生の中で、
私たちには何ができるのでしょうか。
誤解を生じるので捕捉しますが、
病院や診療所に行くことを反対しているのではありません。
お医者さんには、診てもらってください。
しかし、
現代の医療でも治らない病気があり、
また、
「必ず治る」といわれている病気でさえも、
「死んでしまうことがある」ということを
いつでも心にとめておいてほしいのです。
死へ向かう人生
私たちは、何のために生まれて、
現在の、この混とんとした地球に生きているのでしょうか。
地球で肉体を持って生きているということ。
それは、
「生存本能がある」ということ。
それだけで、すべての人が
「死を迎え入れること」に恐怖を感じるのです。
私たちが生まれてきたことには理由があります。
私たちが、今、
生きていることには意味があるのです。
今日。
今。
生きていることに、
まずは感謝しつつも、
常に「死と隣り合わせ」
だということを教えられているような状況が山ほどあることに気づいてください。
私たちにできること
私たちには、何ができるのでしょうか。
ただ、
なすがまま、
なされるがままに、
黙って流され続けながら生きなければならないのでしょうか。
あなたは、
誰かに決められた人生を歩み続け、
自分の価値観や感情を押し殺し、
いずれ来る「死」を迎えることを望みますか?
誰かにコントロールされて、
あなたのやりたいことを表現することもできず、
志半ばで人生を終えたいですか?
新型ウイルスは、残念ながら広がっています。
ここまで来てしまったら、
「生きること」を当たり前に思わず、
感染した場合を想定し、
本当に感染してしまう前に
あなたが今できることを精一杯表現してください。
「いま」を精一杯生きてください。
自粛しながらでも、
できることはたくさんあります。
両親に親孝行をしてみたり、
いつも生意気なお子さんに優しく接してみたり、
喧嘩中のお友達と本心を伝え合って仲直りしてみたり、
家の中でも、
あなたにできることはたくさんあるはずです。
あなたにしかできないことが、たくさんあるはずです。
心を豊かに
新型ウイルスに感染しそうな現実を、
今、誰かを責めてたところで、
もう、どうにもなりません。
せめて、心を豊かに。
ある意味で覚悟を決めて。
そして、また、
ある意味で、望みは捨てず。
あなたの運命は、
あなたが生まれるときにすでに決まっています。
もし、
自粛したり、
感染を防ぐために行動を起こしていたとしても、
このウイルスに感染してしまうとするならば、
それはもう、
運命だったのだと受け入れるしかないのです。
ウイルスは私たちの肉眼では見えません。
ですから、
「できることをする」以上に防ぎようもありません。
今、
感染している方々は、
意図的に感染したわけではないですし、
もともと初期の感染者の方々も意図的に感染して周囲に移しているわけではないのです。
もし、
この病気になることが運命だとするならば、
私たちには、何ができるのでしょうか。
感染に対してできること
現在は、
インターネットを通じて、
私たちも情報交換ができる時代です。
正しい情報を伝達しあい、
助け合い、
励ましあうことは
「どこにいても」、
「誰とでも」できます。
顔が見えないので
「嘘」の情報を見抜く力は必要となりますが、
正しい情報を発信し、
正しい情報を受け入れて、
乗り越えていくしかないのです。
情報の正誤、嘘と真実を見極める
現在も、
メディアのニュースでは、
正しいことを言っているようで
少し矛盾を感じるような報道があります。
適度に恐れることは必要かもしれませんが、
むやみに恐れる必要はありません。
なぜなら、
むやみに恐れるということは、
心に隙間を与えてしまうからです。
精神に不安を与えてはいけません。
心に安心感とゆとりを
心に不安を与えてはいけません。
私たちの脳は暗示にとてもかかりやすい生物です。
必要以上の不安は、
感じる必要のない不調を呼び覚ましてしまいます。
ある程度覚悟をして、
そして、心を豊かに、
情報の入手は大切ですが、
必要以上に脳に不安を植え付けないようにしてください。
私たちは、
「死」を迎えるべき時に「死」を迎えるのです。
その時に、
その「死に方」に文句を言っても始まりません。
私たちの運命は、
「死に方」を決めて生まれてきていると思うと、
少しだけ心が楽になります。
あなたの運命を信じて。
あなたの運命を受け入れましょう。
運命
「運命」というと、
何か宗教的なものを感じてしまうかもしれませんが、
ある一定の宗教を指すのではありません。
心の不安を拭い去るための心の在り方は、
生きる上でとても大切だと思います。
運命は、あなたに最善を与えます。
運命は、あなたに喜びを与えます。
運命は、あなたを見守っています。
その運命が、
あなたのことを裏切るわけがありません。
あなたが、なぜ、生きているのか。
あなたが、いま、できることは何か。
このような状況だからこそ、
あなたの人生、
あなたの命について、真剣に考えてみてください。
そして、
もし、
この新型ウイルスが人災だとするならば、
私たちは、
人災を起こしている相手に対して、
傍観しているわけにもいかないのです。
黙っていては、何も起こりません。
暴動や喧嘩を起こしましょうと言っているのではありません。
表現しましょう。
伝えましょう。
正しいことを。
ありのままに。
そして、
多くの人々が正しい情報を受け取ったならば、
必ずや世界は変わっていきます。
喧嘩や暴動を起こしたり、
誰かを責めても何も始まりません。
しかし、
無知な人々が真実を知り、
それを受け入れることができるだけで、
世の中は変わっていくのです。
私たちに、今、何ができるのでしょうか。
あなたは、今、何をすることができるのでしょうか。
「家族仲良く」でもいいのです。
「会社で円満に」でもいいのです。
正しい情報を、
純粋に、
伝えるべき時には伝えあいましょう。
私たちは、
この地球で、ともに生きている仲間です。
いつでもつながっているのです。
恐れずにともに生きていきましょう。