最近、特に感じます。
「ありがとう」を言えない人がとても多いことを
「ごめんなさい」が言えない人がとても多いことを。。。
あなたは、「ありがとう」を言えない人が多いと感じていますか?
それとも、
あなた自身が何かの事情があって「ありがとう」と言うことができませんか?
「ありがとう」と1000回、一万回言うと、幸せになれるという話があるそうです。「ありがとう」という言葉は、人間関係を円満にさせる言葉なので、トラブルを引き寄せることは少ないと思いますが、だからと言って「ありがとう」という言葉を何千回、何万回唱えたからと言って無条件に幸せになるということはありません。
とはいっても、「ありがとう」という言葉には、感謝や相手を敬う意味が言葉に表れているので、「ありがとう」と言われれば嬉しくなり、「ありがとう」と言えば清々しい気持ちにもなるものです。
そういう意味では、「ありがとう」という言葉は一度唱えるだけで幸せを運んできます。ですから、「幸せになるための条件として『ありがとう』という言葉がある」というわけではないことは理解してほしいと思います。
さて、幸せになるために「ありがとう」を一万回唱えましょうという話ではなく、日常生活において「ありがとう」や「ごめんなさい」と言えない人がとても多いことを私は危惧しています。
あなたは、日常生活のうち、誰に対して「ありがとう」と言っていますか?
あなたは、毎日の生活の中で、誰に対して「ごめんね」を伝えていますか?
日常的な挨拶ともいえる、ありがとうやごめんねという言葉は、知人や友人、家族や社内だけで使う言葉ではありません。道行く知らない人や、電車で乗り合わせた知らない人、スーパーで買い物している知らない人、生活している中で出会う見ず知らずの赤の他人と言われる人に対しても、「ありがとう」と「ごめんなさい」は必要な挨拶なのです。
例えば、狭い道で人とすれ違う時、知らない誰かが立ち止まってくれた。
その「知らない誰か」が立ち止まって道を譲ってくれたおかけで、自分が先にその道を通り過ぎることができた。
日常生活でよくある出来事です。
電車やエレベーターなどでも同様です。電車やエレベーターは、「降りる人が先」という暗黙のルールが存在するので声に出して「ありがとう」というのは気恥ずかしいかもしれません。しかし、譲り、譲られる場面は多々あると思います。
そのようなときに、あなたは「ありがとうございます」と声に出して言うことができますか?
声に出せないとしても、軽く会釈して、相手にありがとうと伝えることができますか?
どんな理由があろうとも、「譲られて当たり前」ではないのです。「譲られて当たり前の環境」は確かにあります。譲る側の「譲るべき状況」というのも存在します。
しかし、だからと言って、譲ってもらった人が「当たり前」だからとふんぞり返っていてはいけません。
譲ってくれた相手の気持ちと行動に感謝して、「ありがとう」とぜひ伝えてほしいのです。もし、恥ずかしくて言葉に出せないときには、軽く頭を下げてみたり、手のひらを見せるというような行為でも通じるかもしれません。
私が、なぜ、このようなことを申し上げるかといえば、
この世の中が殺伐としていて、事件や犯罪が後を絶たないからです。
強いものだけが生き残るという世の中は、もう通用しません。
勝ち負けやプライドに、価値観を見出している時代はもう終わったのです。
世界の状況をみてください。
「なんだかおかしなことがまかり通っているなぁ」と感じることが多いと思いませんか?
何かの組織や、トップと言われているような人の発言が、
あまりにも矛盾していたり、つじつまが合わないことを言っていると感じたことはありませんか?
強い人が、権力や力に任せて先導していく時代は終わったのです。
ゴリ押しで、進む時代ではなくなりました。
これからの時代は、すべての人々が自分らしさを大切にしながら、自他を尊重して生きていく時代なのです。
その一つが、分け隔てのない挨拶です。
知り合いとの挨拶だけでなく、見ず知らずの人でも関わった人に「ありがとう」や「ごめんなさい」をいうことができると、間違いなく世界は変わっていくのです。
「自分のほうが立場が上だから」、というようなプライドは古い価値観になりつつあります。
「ありがとう」や「ごめんね」と言ったからといって、立場が逆転し、肩身の狭い思いをすることはなくなっていく時代になっていくのです。
今はまだ、名残があるのでどうしても「ありがとう」や「ごめんなさい」を言えない人が大勢います。
また、「ごめんなさい」と言ってしまうと、いわゆる「負け」だとか、「認めた」などということになり、立場が弱くなるので「絶対に言ってはいけない」などという教えがあることも知っています。
今の時代、「立場が弱くなったら生きていくことができない」そう思われることもあるかもしれません。でも、だからと言って、その風習にいつまでも振り回されているわけにもいかないのです。
これからの時代は、「自他を敬い、自他を大切にすることができる時代」です。自他は、立場の強さや弱さなどは関係ありません。上から下へ下から上へ敬い、大切にすることができる時代なのです。今は、その過渡期です。勇気のある人が、はじめの一歩を踏み出し、その勇者に続いて、一人、また一人と、古い風習から新しい時代へと時代の変化に突入していくのです。
ですから、今はまだ「ありがとう」や「ごめんなさい」が素直に言える状態ではなくても、いずれ、そういう時代が来るのだということだけは知っておいていただきたいのです。
冷たい、冷ややかな、戦いや差別、偏見、勝ち負けで織りなされている世界から、
一体感を感じて、安心して自分らしさを表現して生きていくことができる世界へと変貌していくのです。
ありがとうやごめんなさいが言えない人は、これからの時代の流れを傍観していてください。そして、「あぁ、こういうことなのか」と分かった時に、心を開いて新しい時代に入ってきてください。それで良いのだと思います。
また、現時点において、ありがとうやごめんねを素直に言える人は、時代の先駆者です。
心が感じるままに、知人、友人、他人関係なく、温かい言葉を掛け合って、地球上の尖った空気を丸く、緩めてください。
しばらくの間は、両端の人々がバランスを取り合う環境が続くので、苦しいことが生じるかもしれませんが、時代の波が変化していることは事実ですので、自信をもって感謝の気持ちを伝えていただければよいと思います。
新しい時代に入ってはいるのですが、古い風習を頑なに続けたい人たちがたくさんいるのです。
権力、暴力、圧力・・・これは古い風習です。
しかしながら、とても強い人たちで、今の世界を築き上げた努力家の人たちです。強い人たちが自ら、古い風習を手放すことは決してありません。
強い人たちと戦う必要はありませんが、しっかりと「私は生きているんだ」という意思を持って生活する必要があるのです。強い人たちが古い風習を手放さずに、今後何十年とこの古い状況が続いてしまえば、地球は…。地球は…。言葉に表したくはありませんが、お伝えしなければなりません。。
地球での人々の暮らしを継続すること自体が難しくなってしまうでしょう。そうなると、人々の苦しみは増すばかりとなってしまいますが、その時に初めて「強い人々の中の誰か」の責任に責め立てても、状況をすぐに好転させることはできないのです。
もっと言ってしまえば、その時には手遅れになっていることさえあるのです。
小さなことからでいいのです。私たちは、私たちの人生を生きているんです。
そのために「ありがとう」と「ごめんね」の気持ちを、素直に感じることができる暮らしをしましょうとお勧めして、今回のお話を終わりたいと思います。